息子達が小さなころ、
片付けてもまたすぐに散らって、
の繰り返しだった。
小さな子供達の興味は次から次へと移る。
床におもちゃや絵本、
作りかけの工作や空き箱が散乱し、
テレビの前にはDVDのケース。
テーブルにはクレヨンとお絵描き帳。
そして息子達の相手をしながら合間にする家事は、
どれも中途半端。
部屋の隅には取り込んだ洗濯物の山。
買ってきたものは、
その日のうちに片付けられず、
しばらくキッチンや洗面所の床に置きっぱなし。
キッチンシンクには洗い物をそのままにして、
寝てしまうことも多々。
そんな部屋の状態が嫌だったし、
イライラすることも多かった。
息子達に、
片付けなさい、と叱ることもあった。
片付けがあるからいまは一緒に遊べないよ、
と子供達よりも
部屋を整えることを優先したこともあった。
散らかってもすぐ片付けられる部屋にしたくて、
ベルメゾンのカタログを何度も見返して、
収納用品を揃えて必死になって部屋を整えた。
小さな子供達がいるのだから、
散らかってしまうのは当たり前だよ。
そんなに必死になって片付けなくても、
時が経てば部屋は整えられるよ。
あの頃の自分に教えてあげたい。
当時、必死で片付けたかったのは、
いつでも人を呼べる家、にしたかったから。
息子達が幼稚園の頃は、
友達と遊ぶ=ママ友もご招待する。
誰の家で集まろうか、となったとき、
うちに来てよ、
と言えるようにしていたかった。
いつ来ても綺麗にしているね。
落ち着く部屋だね。
そう言われることが勲章だった。
見栄っ張りのお片付け。
それから何年もたち、
何度か引っ越しをし、
息子達も成長した。
いま、
部屋はいつも綺麗に整っている。
散らかす人がいない。
散らかすものがない。
買ってきたもの、やりかけのこと、分別前のごみ、
そのまま放置されていることはある。
でも、ほんの一時的。
ご飯づくりに取りかかる前、
お風呂に入る前、
すぐに片付いてしまう。
帰宅後や朝起きたとき、
ダイニングテーブルが視界に入る。
洗濯物を干したあとベランダ側から部屋を見渡す。
どんな時も、綺麗だなと幸福感で満たされる。
いまの家になって、
訪問者は数えるほどしかない。
もういつでも人を呼べる家にする必要なんてない。
それでも私は片付ける。
片付けることは、
私にとっての精神安定剤。
きれいな部屋でくつろぐ家族たち。
いつでも人を呼べる家、よりも、 家族みんなが心穏やかに過ごせる家。
そんな家でいるために、
今日も少しの断捨離をし、
次のシーズンまで使わないものを洗濯し片付けた。
もっと減らしたいもの、
改善したい箇所のある我が家。
ここに綴ることで、
いまよりもっと整った部屋にしていきたい。
まだまだ我が家は整頓途上。
本日のブログで100記事目を迎えました。
何ごとも続かない私。
とりあえずは3日は続けよう、
とりあえずは1週間、1か月、、そう数えながら記事を更新していました。
拙い内容のブログを読みにきていただく皆さまには、
感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも自分なりのペースで続けていきますので、
またご訪問いただけると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。